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目をつぶって人の話し声を聞くと、話し手がどこにいるか、正確な位置がわからない。私たちは、母語を聴くときに、片方の耳しか使わない。最初に音が入った耳で聞いて、反対側の耳は音が入らないように減衰させている。
この母語の片耳聴覚は、文法処理のためではないか。ふつう脳幹にある聴覚神経核は、きわめて複雑な処理をしていて、片側の耳から入力された信号を、左右の脳に伝えて、微妙な左右の強度差、周波数差、位相差をもとに音源の位置や速度を推定する。
文法を習得する前の幼児はきわめて運動性が高くて動きに敏感なのに、3~4歳になって文法を習得した子供は運動能力が落ちる。これも、両耳聴覚の方向定位機能を文法処理に転用するためだったのだ。
ここまで考えてきて、ブラジルのアマゾンの支流に住むピダハンのことを思い出した。ピダハン語には文節構造がなく、文法的修飾がない。これはピダハンが、四六時中四方八方から襲い掛かってくるワニやヘビの脅威があるために、方向定位能力を文法に転用できなかったためではないか。
実際、『ピダハン』(みすず書房)の著者、ダニエル・エヴァレット博士が来日した際に、直接質問してみた。すると、やはりピダハンは母語を両耳で聞くことが確認されているという。
文法を使う大人は片耳聴覚で、文法を使えない幼児は両耳聴覚。ジャングルの奥地の文法をもたないピダハン語は、大人も両耳聴覚する。
「文法処理は脳幹聴覚神経核の方向定位能力を利用している」というのが、チョムスキーの難題への解答になるだろうか。
テレ東京の「カンブリアン宮殿」で。
めがね21の経営に度肝を抜かれると同時に、すごく共感を覚えた。ポイントは、
・透明でオープンな経営にすると、管理職は不要になる。
・やましいところがなければ、すべてをオープンにできるはず。
・権威をもらうことを餌に働かせるのが、ほとんどの企業のやりかた。
・本当は権威は幻想、実体ない。
・給料も査定も全部オープン。もちろん社長の給料も。
・ギブアップ宣言、この人とやっていけないという宣言だしたら現場変われる。
・社内恋愛歓迎、結婚して独立を推奨されている。
・稟議はネットで、異論が3日なければそのままOKとなる。
・社員との信頼関係がもっとも大切、そのためのオープンなやりかた。
・誤解される可能性あるから情報を制限なんてことは一切ない。それはどこかやましいから。
何でも飄々とスマートにこなす先輩に「○○さん恋したことありますか」ときいてみたら、「いいね、それ人を馬鹿にするときに使えるね」とスマートに返された。
生まれてはじめてカメラを持ったとき、旅行以外に撮る場面が思いつかなかった。それで、写真が好きだという後輩に、なにを撮ったらいいかな、と相談したら、「なんでも撮ればいいんですよ」という。
なんでもって、たとえばどんなものを、と訊くと、彼は手元のMacを開いて説明をはじめた。
はじめてカメラを買ったのは高校を出るちょっと前なんです。
これは受験票を入試会場に置いたところですね。次は終わったあと。出たとこ。道。駅。いっぱいいますね受験生が。
飛ばしますか、これ入試の一週間後くらい。家にばあちゃんが来てる。こっちは高校の入り口。高校の廊下。高校の教室。これは田中です。え?いや別に友だちじゃないです田中は。わりとどうでもいいやつです。今これ見なかったらたぶん一生思い出してない。
日付で派手なの選ばないと退屈ですよね、入学式はこのあたりかな?これ講堂の外ですね。あと空。空、青いなあ。
近いの見ましょうか。これ先週の金曜日、ココイチでカレー食ってます。そうです駅裏の。あ、この靴はいてたのか、あんまりはかない靴なんだけど。この花は近所の。あ、これさっきだ、この建物の玄関、えっと、二時間前です。
彼はそんなふうに次々と写真を見せた。
私だけでなく、研究室にいた人たちがみんなびっくりした。量が尋常ではない。日付のラベルが毎日ぶんあって、しかもどうやら一日一枚ではない。
なにより、彼の写真には意図というものが感じられない。彼はなにも選んでいないのだ。「撮ったら叱られるものとか、誰かが見たときに叱られそうなものとか以外は撮りますよ。撮らない理由がないから」と彼は言う。
なんでまたこんなに無差別にとっておくのか、これをもとに美術作品を制作したりするのか、と訊くと(私には、よくわからない創造物はとりあえず現代美術だと解釈する安直な癖がある)、彼は「いや、ただ、おもしろいと思って」と言った。
もし彼の写真をスライドショーでずっと見続けたら変な感じがするだろうな、と私は思う。それは彼の記憶みたいなものだからだ。
私たちは語られる他人の記憶には慣れているけれども、意味づけされていない生の記憶には、決して接することがない。だからそれに近い彼の写真群を時系列順に見たら、きっと新鮮で、同時に気持ち悪いだろうと思う。
べつの後輩が「たまには見られる側に回るべきだよ」といってカメラを取り出すと、彼もすかさず自分のカメラを構え、向かい合わせにシャッタを切った。そうして自分の撮った写真を眺めて、「この写真に写ってるカメラの、このレンズに僕が映ってるんですよね」と楽しそうに言った。なるほど、カメラがあれば、彼はいつも見る側で、主体なのだ。
皆同じようにやっていたら、皆と同じようにしかならない
この言葉は、3歳の頃から繰り返し母親に言われてきたそうです。
「何で勉強しないといけないの?」
と母親に聞くと、
「主体的に生きるためよ」
と言われてきたそうです。
「皆と同じような時間の使い方をしていては、
皆と同じようにしかならないの。
夢を持った時、そこにたどり着くためには、
自分がやりたいことのために、自分で主体的に時間を使うことが必要だから、
その取捨選択が自分でできるようになるために、今勉強しておくのよ」というようなことを常に教えていたそうです。
「美しすぎるリケジョこと小保方さん!」とかいう報道見るたびに、筒井康隆『パプリカ』でノーベル賞候補になった女性研究者が記者会見にのぞむときの、『敦子の目に記者たちは、若く美しい千葉敦子という女性に、自分たち以上の知性を求めてはいないように見えた』って一文が浮かぶ
かつて、バイトと夢に追われていた20代の私に、年長の家族が言った。
「夢を追いかけているつもりかもしれんが、そうやって、経営者を稼がせているだけや。お前の“夢”は、経営者を食わせて終わる」
私は頭を金づちで殴られたように目が覚めた。
どこで学んだのか知らないけれど、家内は子供の前で決して私の(つまり子供の父親の)悪口を言わない。もちろんからかうことはよくある。でもマジな悪口は決して言わない。愚痴も言わない。いつもいいことを言う。いかに尊敬すべき父親かを語る。結城はとても感謝している。
夫婦は。夫婦というものはお互いに愛し合う存在だけれど、最も近い存在であるがゆえに、互いの欠点やまずいところもたくさん知り合うことになる。もしもそこを突き合えば、いくらでも相手に致命傷を与えることができるほどに。
でも、だからこそ、夫婦が相手の「良いところ」「ほめるべきところ」をきちんと把握し、子供にそれを伝えることが大事だと思っている。それは健全なバランスであり、そして健全な人間関係である。

